翼賛選挙から学ぶことはできないか

弁護士1年目のときにふとした気まぐれで弁護士会の法教育委員会に入った。以来、なかなか足を洗うタイミングがつかめないまま現在に至っている。法教育委員会の主な仕事のひとつに、出張授業活動がある。県内の小中高校からの申し込みに応じて、色々なテーマで出張授業を行っている。先日、県北のある高校から、いわゆる18歳選挙権について授業をしてほしいとの申し込みがあった。そこで、選挙に行くことの大切さを高校生に説くにはどうしたらいいだろうかと考えることになった。2~3日思案した挙句、選挙によって国の行く末が大きく変わった話をしてみたらどうだろうかと思いつき、1942年4月に実施された第21回衆議院議員総選挙、いわゆる翼賛選挙について調べるため図書館に足を運んだ。とりあえず開架図書から何冊かを手に取って調べ始めたところ、「資料現代日本史 翼賛選挙」という本に辿り着いた。当時の原資料が豊富に収録されており時間を忘れて読むことができる内容だったのだが、その中で特に面白いと思ったのが、司法省刑事局が作成した「今次衆議院議員総選挙に於ける無効投票を通じて見たる国民思想の動向」という資料だった。資料作成の目的について曰く、「今日の如く言論その他が厳重なる統制を受けてゐる時代に在つては、時として所謂『偽らざる民の声』を聞く機会に乏しきの憾あり、殊に反時局的な思想の底流が奈辺に存するかを判別することは相当困難となりつつあるのであつて、その点よりすれば、ここに所謂無効投票の如きは之を察知する手がかりとして有力なる一資料たるを失はない。」とのことである。現代の感覚からすると、無効投票というのは、白票だったり、候補者名の書き損じの類だったりと、国民の思想を推知するのに役立つものとは思われないが、当時の無効票には国民の思想を推知するのに十分役立つ情報が書かれていた。

例えば、「戦争を嫌悪し、軍部に対する反感を示し、若は軍部の政治関与に言及して之に反対するもの」が52票あったとのことである。例えば次のようなものである。

一 軍部政治ノ撤廃
一 南進シテ戦果ハ挙ツテモ泣クハ国民バカリナリ
一 一将校成ツテ万骨枯ル
一 止戦
一 軍政をたほせ戦争を止めろ
一 戦争イヤイヤ
一 軍ヲ廃シ以テ民ヲ救フベシ
一 敗戦日本
一 戦争ハ強盗ニ似テ居ル

この選挙が行われた1942年4月と言えばミッドウェー海戦の2か月前であるからまだまだ戦況が日本優勢だった時期である。特に南方で快進撃を続けている時期である。多くの国民が日本軍の快進撃に浮かれていたと思われ、実際選挙では、翼賛政治体制協議会の推薦候補者が全議席の81.8%を獲得している。そういう情況の中にあって、日本の敗戦を示唆する記載をしていた日本人が、やはりいるにはいたのである。大戦果が挙がっていても、それが国民の幸せにならないとの記載もある。南方の大戦果を「強盗」呼ばわりする感覚を持った日本人もいたのである。大戦果が上がっていても戦争はいやだと、投票用紙に明確な厭戦の意思を表示する者もいたのである。

その一方で、むしろこちらが当然だと思うが、東条首相や東条内閣を支持する者、軍を支持し戦争を謳歌する者もいた。これらはいずれも戦争遂行に賛成する民意であるということができよう。

一 東条閣下宜しく御願致します
一 東条首相政策信奉
一 現政府絶対支持
一 東条英機閣下の独裁を望む
一 黙々ト東条首相ニツイテ行ケ
一 皇軍全勝ヲ祈ル
一 軍ニ一任ス
一 米英思ひ知れ国民は此の意気

東条英機の独裁まで望む民意が存在していたことには驚いたが、考えてみれば、同盟相手であるドイツではヒトラー独裁政治による電撃作戦が成果を挙げているというニュースを見ていた当時の国民が日本でも独裁を望むのは確かにあり得ることだと思われた。独裁を望むということは議会を不要と考えるものと思われる。当時は議会不要論もあったようである。次の意見などはその典型であろう。

一 議会頭ヲ出シテ戦時ニ困ル

議会がごちゃごちゃと言って戦争を邪魔しているとの不満が短い言葉から感じられる。とは言え、当時の議会に戦争反対を声高に叫ぶ議員はほとんどいなかった。翼賛選挙実施前に翼賛選挙の実施に疑問を投げかける意見はあったが、そうした意見も戦争遂行に繋がるから反対とは言わず、二院制の趣旨を没却するとか、推薦議員の資質を問うなどといった角度からの意見であった。例えば、安藤正純衆議院議員が、翼賛選挙直前の1942年3月19日に東条首相及び湯沢内務大臣に対して提出した質問主意書の内容は次のようなものであった。ちなみに賛成者は、鳩山一郎、鈴木文治、芦田均、片山哲、尾崎行雄らであった。

曰く、「推薦母体タル翼賛政治体制協議会ノ…全委員ノ半数以上ヲ貴族院ヨリ出ダセルコトハ衆議院議員選挙ノ推薦母体トシテ甚ダ理解スベカラザルコトナリ、是レ憲法ニ二院制ヲ規定シタル精神ヲ紛更シ…」であるとか、「真ニ立法府ガ憲法上与ヘラレタル職域ニ奉公シテ大政翼賛ノ機能ヲ発揮スル為ニハ清新練達ノ政策ト知識トヲ備ヘ且ツ牢固不抜ノ信念ヲ以テ貫クノ人物タルヲ要シ…」といった内容であった。

ここには、天皇大権ゆえに戦争反対を声高に叫ぶことが許されない中で、立憲主義を拠り所に、政府の暴走をどうにかして食い止めようとする当時の護憲派の懸命さが痛々しいほどに表れている。そして、こうした護憲派の叫びは国民の一部には届いていたようであり、無効票には次のような言葉も書かれていた。

一 独裁政治ニ議員ヲ要ルカ
一 専制政治ニ議員ハイラヌ
一 ファッショ政策強化絶対反対
一 翼賛会ハ国賊ニシテ且ツ憲法ノ大敵ダ
一 討議批判ノ自由ナキ翼賛議会ナルモノガ何ノ役ニ立ツカコンナ選挙騒ギハ全ク浪費ダ
一 憲法政治ヲ無視シテ翼賛選挙ナシ
一 憲法違反下推薦候補落選ヲ祈ル
一 推薦候補ヲ政府推薦ノ様ニマドワスモノ憲法ハ如何ニナル

このように、国民の中には政治体制の独裁化に異議を唱える声や、立憲主義の視点から翼賛選挙を批判する声も確かに存在していた。現代の我々よりもはるかに正確な情報から遮断され、我々よりもはるかに思想や表現を抑圧された状況の中で、現代の我々と同じように、戦争反対を訴え、立憲主義を守ろうと声をあげていた日本人がいたことに対して、率直に感銘を受けた。しかし残念ながら、大多数の日本人は、政府の情報操作により正しく判断する機会を奪われたまま、翼賛政治体制協議会が推薦する議員381人を当選させ、その後は、当選者を中心として、軍の傀儡的存在である翼賛政治会が作られ、国会は翼賛議会化していくとになる。そして、東条英機首相は、選挙後の1942年5月2日の「総選挙を終りて」と題する講演で、「朝野を挙げて大東亜戦争完遂に向つて勇往邁進し、以て宸襟を安んじ奉らんことを誓ふ」との決意を表明し、爾後その言葉どおりに軍部の先頭に立って破滅まで暴走していくことになる。

多くの国民は、まさか自分たちの命運を決定付ける重要な選択を行わされたとは夢にも思っていなかったことだろう。しかし、上に紹介した無効票に書かれた数々の言葉は、その同じ時点において、戦争に反対し、立憲主義の観点から翼賛選挙に反対していた国民がいたこともまた紛れもない事実であることを証明している。選挙は時として自分たちの命運を決してしまうことがある。私たち国民は、政府が述べているところの何が虚偽で何が真であるのかを見定めて、正しい投票行動をとらなければならない。それは難しいことには違いない。しかし、政治家や国民の中には正しい意見を述べている人が必ずいる。その声に耳を傾けさえすれば、後で後悔しない選択をすることは決して不可能なことではない。翼賛選挙で投じられた無効票は、私たちにそういうことを教えてくれていると考えることはできないだろうか。こんな話をしてみたら、子どもたちは選挙に関心を持ってくれるだろうか。とりあえず、近々の出張授業で一度試してみようと思っている。

この記事を書いた人

吉原稔法律事務所