憲法26条といじめ防止対策推進法の関係
現在の憲法学は、憲法26条が国民の学習権を保障していると解する点でほぼ一致していると言えます。
その内容については様々な解釈がありますが、最高裁判所として初めて学習権を認めた学力テスト事件判決は、「国民各自が、一個の人間として、また、一市民として成長、発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利」としています。
もっとも、子どもが誰の助けも借りることなく、一市民として成長していくことはおよそ不可能です。実際には、教育を受ける場が提供されなければならないし、教職員等の教育専門家によって教育を施されることも必要となります。上記の最高裁学力テスト事件判決も、「子どもは、その学習要求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有する」と述べていますが、かかる文脈において理解することができるでしょう。また、判決では「大人一般に対して要求する権利」とされていますが、現実には、子どもに対する教育を施す上では、学校の教職員が質量ともに大きなウエイトを占めているのですから、子どもの権利を実質化する観点からすれば、学校の教職員や学校設置者、あるいは国に対して要求することができる権利であると解されるべきです。
そして、子どもにこのような権利が認められる以上は、教職員や学校設置者、あるいは国には、子どもの学習権を充足するために必要な措置を講じることが要請されることになります。この点について、憲法は、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う」と定めています(26条2項)。文言上は、保護者の子女に対する義務となっていますが、本条項は、国に対して、国民の学習権を確保するに必要な措置を講じることを要請したものと解されています(佐藤幸司「憲法〔新版〕」、平成2年、青林書院、547頁等)。
もっとも、同条項は、こうした国の責務が、「法律の定めるところにより」実現されるものとしています。これは、教育設備の充実等には一定の予算措置を必要とすることも多いこと等を想定してのことだと考えられます。同じく予算措置を必要とすることを主要な根拠としてプログラム規定であると解されている憲法25条と同様に、憲法26条についても同条をプログラム規定と解する立場があるのはそうした理由によるものと考えられます。
少し話が難しくなってしまいましたが、憲法26条をプログラム規定と解するにせよ、法的権利を保障した規定と解するにせよ、学習権の内容は広汎かつ多様ですから、その内容は抽象的にならざるを得ません。そこで、教職員や学校設置者、あるいは国と子どもを含む国民との間の権利義務関係を具体化するためには「法律の定め」が必要となります。
このような「法律」の代表例としては、教育基本法や学校教育法を挙げることができますが、2013年9月28日に施行されたいじめ防止対策推進法もまた、同条項に言う「法律」に該当します。人は誰もいじめられている環境では安心して学習し市民として成長していくことはできません。いじめを予防し、早期に発見して対処することは、子どもの学習権を保障するために必要不可欠な国の義務であるということができます。いじめ防止対策推進法1条も、児童等の教育を受ける権利に対する侵害の除去を目的としています。
このように、いじめ防止対策推進法は、憲法26条に言う「法律」として、憲法26条を具体化するものです。我が法体系上、憲法26条といじめ防止対策推進法の関係はこのようなものであるということになります。
では、いじめ防止対策推進法は、誰に対していかなる義務を負わせているのでしょうか。概観してみたいと思います。
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いじめ防止対策推進法が定める義務
一般的義務
- いじめ防止対策推進法は、5条から8条において、国、地方公共団体、学校設置者、学校及び教職員の義務を一般的な形で規定しています。要旨は次のとおりです。
国 いじめ防止・早期発見・対処(これら3つを合わせて「いじめ防止等」と言います。)のための対策の策定及び実施義務(5条) 地方公共団体 地域の状況に応じた施策の策定及び実施義務(6条) 学校設置者 いじめ防止等のために必要な措置を講じる義務(7条) 学校及び教職員 関係者との連携を図りつついじめの防止及び早期発見に取り組む義務、いじめに対して適切かつ迅速に対処する義務(8条) また、いじめ防止対策推進法は、文部科学大臣に対して、①いじめ防止基本方針の策定義務を課している(11条)。
最高裁判所令和2年7月6日判決
これらの規定のうち、8条に関連する判例として最高裁判所令和2年7月6日判決があります。
最高裁判所は、柔道部の顧問が、いじめにより受傷した被害生徒及び副顧問に対して、受傷は自招事故によるものとの虚偽の説明をするように指示したという事案において、顧問の言動は、大会を目前にして、主力選手らによる不祥事が明るみに出ることを免れようとする意図を窺わせるものであると指摘した上で、いじめ防止対策推進法8条及び12条を適用して、「問題の解決に向けて学校全体で組織的に対応することを求めているいじめ防止対策推進法や兵庫県いじめ防止基本方針等に反する重大な非違行為」であると判断しました。この判例は、いじめ防止対策推進法を具体的事件に適用した最初の最高裁判例という意味で重要判例であると言えます。詳しくは、《判例のご紹介》最高裁令和2年7月6日判決をご覧ください。
福岡高等裁判所令和2年7月14日判決
11条に関連する判例としては福岡高等裁判所令和2年7月14日判決があります。
福岡高等裁判所は、平成25年4月に熊本県立熊本商業高校に入学して寮生活を送るようになった被害生徒が、同級生である寮生らによるいじめを苦にして同年8月に自宅で自死したという事案において、「(舎監長らは)いじめを発見した場合には、その当時のいじめ対応に関する知見に基づいて、適切に対応すべき職務上の義務」があったのにこれを怠ったと判断しました。そして、福岡高等裁判所は、ここに言う「当時のいじめ対応に関する知見」として、「それまでの『いじめ』への対応に関する文部科学省の通達や通知をまとめたもの」であるところの「いじめ防止基本方針」を基準として用いました。この判例は、高等裁判所レベルで初めて、いじめ防止対策推進法11条に基づき策定されたいじめ防止基本方針が、学校に安全配慮義務違反があったかどうかを判断する上での基準になることを明言した画期的判決です。詳しくは、《判例のご紹介》福岡高裁令和2年7月14日判決をご覧ください。
- いじめ防止対策推進法は、5条から8条において、国、地方公共団体、学校設置者、学校及び教職員の義務を一般的な形で規定しています。要旨は次のとおりです。
具体的義務
いじめを防止する義務
いじめ防止対策推進法は、いじめ対策を、防止、早期発見、対処の3段階に分けています。
そして、いじめを防止する義務については、学校の設置者及び学校に対して、①道徳教育及び体験活動等の充実、②児童等が行ういじめ防止活動の支援、③児童、保護者及び教職員に対する啓発その他の措置を義務付けている(①は15条1項、②③は15条2項)。
いじめを早期に発見する義務
いじめ防止対策推進法は、学校の設置者及び学校に対して、いじめを早期に発見するため、児童等に対する定期的調査その他の必要な措置を義務付けています(16条1項)。
また、国及び地方公共団体に対しては、いじめに関する通報及び相談を受け付けるための体制整備を義務付けています(16条2項)。
いじめに対処する義務
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原則的対処義務
原則的対処義務の内容
いじめ防止対策推進法は、学校に対して、児童等がいじめを受けていると思われる場合の義務を次のように定めています。これは全てのいじめに対する原則的な対処を定めるものですので「原則的対処義務」と呼ぶことにします。
いじめと思われる場面を発見した者は、学校に通報する(23条1項)。
学校は、事実確認をした上で設置者に報告する(23条2項)。
学校は、事実確認の結果いじめが確認された場合、いじめをやめさせ、再発を防止する。そのために、被害児童等及び保護者に対する支援、加害児童等に対する指導、加害児童等の保護者に対する助言を継続的に行う(23条3項)。被害サイドと加害サイド間で争いが起こることのないよう、いじめ事案に係る情報を双方の保護者と共有する(23条5項)。
学校は、被害児童等が安心して教育を受けられるようにするため、加害児童等に対して別室学習等をさせる(23条4項)。
学校は、いじめが犯罪行為に該当する場合は、所轄警察署と連携し、重大な被害が生じる恐れがあるときは直ちに所轄警察署に通報する(23条5項)。
東京高等裁判所令和3年6月3日判決
上に見たように、いじめ防止対策推進法23条3項は、被害児童等及び保護者に対する支援、加害児童等に対する指導の義務を定めていますが、その具体的内容については今後の実務や判例の集積を待つ必要があります。東京高等裁判所令和3年6月3日判決はその第一号となる判例です。東京高等裁判所は、当時小学校5年生だった原告が同級生の暴力や暴言のいじめによって不登校となった事案において、いじめ防止対策推進法23条を参照して、担任らは、加害児童に対して「さらに強く指導する」、加害児童の保護者に対して「家庭での指導を促す」、加害児童と被害児童とが「接触しないようにする」、被害児童の訴えを真摯に聴いて「精神的に支える」、他の児童に対して「(被害児童を)支援するように仕向ける」などの措置をとるべきであったがこれらの義務を怠ったとして、学校の責任を認めました。この判例は、いじめ防止対策推進法23条を参照することで具体的な義務を導き、その義務違反を認定した最初のケースです。詳しくは、《判例のご紹介》東京高裁令和3年6月3日判決をご覧ください。
重大事態対処義務
いじめ防止対策推進法は、いじめにより重大事態が生じた疑いがある場合、学校の設置者及び学校に対して、事実関係の調査を実施し、その結果等を被害児童等及びその保護者に対して適切に提供する義務を課しています(28条1項、2項)。
条文上は、いじめにより重大事態が「生じた疑いがある場合」に調査を実施する義務があるとされていますが、一部の自治体や学校では、いじめにより重大事態が「生じた場合」に調査するという解釈を採っています。しかしこのような解釈は明らかな誤りです。詳しくは、いじめ防止対策推進法第28条1項の重大事態調査の開始時期をご覧ください。
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横断的義務
上に見たように、いじめ防止対策推進法は、いじめの防止、早期発見、対処の3段階について各主体に対する義務を規定していますが、これら3段階全てに関係する横断的な義務も定めています。
国の義務
- 財政上の措置を講じる努力義務(10条)
- 関係機関の関連を強化する努力義務(17条)
- 民間団体の支援その他必要な体制を整備する努力義務(17条)
- 人材確保・資質向上義務(18条1項)
- ネットいじめ対処体制整備の努力義務(19条2項)
- 必要事項や対策実施状況の調査研究・検証を行いその成果を普及する義務(20条)
- いじめ防止の重要性・相談体制・救済制度等の普及啓発義務(21条)
地方公共団体の義務
地方公共団体に対しては、上記の国の義務に加えて、次の義務を課しています。
- 地方いじめ防止基本方針を策定する努力義務(12条)
- いじめ問題対策連絡協議会を設置した場合は教育委員会との連携を図る義務(14条)
- ネットいじめ対処体制整備の努力義務(19条2項)
- 学校相互間の連携協力体制整備義務(27条)
これらの義務のうち、12条の義務は努力義務ではありますが、12条に基づいて地方いじめ防止基本方針が策定された以上は裁判規範性が認められ、これを守らないことが公務員としての重大な非違行為とされることは上に見たとおりです(最高裁判所令和2年7月6日判決)。
設置者の義務
- 人材確保・資質向上義務(18条2項)
- ネットいじめ対処義務(19条1項)
- 学校支援義務(24条)
学校の義務
- 学校いじめ防止基本方針策定義務(13条)
- 人材確保・資質向上義務(18条2項)
- ネットいじめ対処義務(19条1項)
- 対策組織設置義務(22条)
(文責:弁護士 石川賢治)